出来事には必ず理由がある。だから、自分の好きなように解釈する

私のこころのこと つぶやき ブラックなつぶやき


「出来事には必ず理由がある」
そう思っています。

今、私が住んでいる場所の近くには
幹線道路があります。

その道路を、夜な夜な
マフラーを改造したバイクの集団が
爆音を鳴り響かせながら
走り過ぎていきます。

以前は
「もう、うるさいなー」とか
「あの道路沿いに住んでいる方は
大変だろうなぁ。
警察には、ああいうのをきちんと
取り締まってほしいのに」
ぐらいしか思っていなかったのです。

でも最近、私は
こんなふうに推測しています。

「もしかしたら、寂しいのかも。
自分に注目してほしいんだろうなぁ。
だから、大きな音を出して
バイクを走らせたいんだろう。
赤ちゃんがお母さんを求めて
大きな声で泣いているのと、一緒かも」

…そう思うだけで、あら不思議。
あんまり、腹が立たないんです。

それから、車を運転していて
無理な割り込みなどをされたとき。

個人差はあると思いますが
「ちょ、ちょっと!何するの!?」って、
気持ちがざわざわしませんか?

そんなとき、私はこう思っています。
(お食事中の方は、
これより先は食後にお読みください)







「あぁ、きっとあの人は
ウ○コしたくて、急いでるんだろうなぁ。
どうぞどうぞ、お気をつけて」

…そう思うだけで、あら不思議(笑)
ざわざわは、すーっと静まります。

その出来事にかかわった人が
抱えている、真実。
その真実は、本人に聞かないとわかりません。

でも、もう出会わないであろう人には
聞けるわけがないし、
聞く必要もありません。

自分が心地よく過ごすための「理由づけ」を
すればよいだけなのですから、
真実だろうが、なんだろうが
自分の好きなように解釈すれば
よいのです。

↓この子が、私より夫の
おひざまっしぐらだったのは
たぶん私のだっこが下手だったから。
ネコにも、理由がちゃんとあるのです(笑)

こんな風に、周りを責めすぎず
ゆるーくふわーんとしていると
なんとなく心地いいし、
なぜかいい出来事が
舞い込んで来ることが
多い気がします。

別な切り口からの例え話ですが、
誰かが発信したことに
開口一番、非難の言葉をかけてくる人が
ときどきいます。

そういう人も、必ず何かしらの
理由を抱えています。

(たぶんそれは、
「嫉妬」が大半を占めている可能性が
大きいかと思いますが)

もちろん、その人が発している
言葉の中に、キラリと光るヒントが
見つかることも多々あります。
それは冷静に受け止め、
ありがたく参考にさせていただきます。

でも、ただやみくもに非難している人の
建設的ではない言葉を鵜呑みにして、
自分が傷つく必要はまったくありません。
相手と同じ土俵に立たなくてよいのです。

なお、この考え方は
接客業の方のクレーム対応時などにも
当てはまる部分があると思います。

ほかの担当者がしたミスに対してのクレームを
自分が受けることになった、というのは
よくある話です。
(もちろん、逆の場合もありますので
お互いさまかもしれません)

クレーム対応時は、言うまでもありませんが
「会社の顔」として
心からお客さまにお詫びします。

でも、それと「自分の心をすり減らす」のは
まったく別な話です。
大事な自分の心を、すり減らす必要はないのです。

そんな考え方が
自然にできるようになりつつある今、私は
生きるのがとても楽になりました。
40歳になって、やっと腑に落とせました。

20代の頃、
周りの空気を読みすぎて(読めすぎて)
周りの視線が気になりすぎて、
どう生きたらいいのかわからず
苦しくて、苦しくて。

「楽に生きられるようになりたい」
「愛されたい」と、
たくさんの自己啓発本や、スピリチュアル系の本に
手を出しました。

でも、今の私はもう
それらの本に救いを求める機会は
あまりないかもしれません。
お気に入りの作家さんの本を
なつかしく読み返すことは
あると思いますが。

今は、楽に生きられるようになりましたし
たくさん愛してもらっていますから。



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