私の一番の理解者は、私

私のこころのこと つぶやき


本当は疲れていて頑張りたくないのに、
ついつい無理をして頑張ってしまう。

その時、誰かがほめてくれたら嬉しいけれど、
誰にもほめてもらえなかったとき。

「頑張ったのに、誰も認めてくれない。寂しい…」
という気持ちを経由して、
「なんで誰もほめてくれないの!私こんなに頑張ったのに!」
と、怒りの気持ちで心がいっぱいになる。

恥を忍んで、カミングアウトします。
上記はまさに、私の典型的な行動パターンです・・・。

今はありがたいことに、私が頑張ったことをほめてくれる方が
周りにたくさんいます。
なのでこんな気持ちになることは、ずいぶん減りましたが
昔はそれはもう、思い出したくないぐらい頻繁にありました。

どうして私は、怒りの気持ちに支配されてしまったのか。
子どもの頃にさかのぼってみると、その理由がなんとなく見えてきました。

父子家庭で育った私は、小学校低学年ぐらいから
自然と家事をするようになりました。
(たまごを焼いたりお茶碗を洗ったりの、簡単な作業でしたが)

でもそのことに対して、親からほめられた記憶がありません。

勉強や習い事を頑張って、試験でいい点数をとったときも
ほめられることはほとんどありませんでした。

私は、寂しかったのだと思います。
「よくやったな」
と一言、ほめてほしかったのだろうな、と。

これは私の推測ですが、たぶん父も幼い頃、
ほめられた経験があまりなかったんじゃないかな?と思います。
自分自身に経験がないことを、自分の子どもにしてあげるのは
よほど意識しないと難しいような気がします。

ただでさえ父は、日々の仕事や家事、そして子どもの面倒などで
手いっぱいだったはずです。
父は頑張って、私を育ててくれた。
それは今、何の迷いもなく断言できます。

私は、もう大人です。
相手の気持ちを推し量ることができます。
そして、自分の気持ちも理解することもできます。

「子どもの頃、誰にもほめてもらえなかったから」
という理由を、ずーっと引きずる意味はありません。

そして、
「自分のこころを削ってまでがんばらないと、誰にも愛されない」
と思う必要もありません。
そこまでしなくても、愛してくれる人は絶対にいます。

”誰もほめてくれない”と悲しむのではなく、
「がんばったね、ありがとう!」
と、自分で自分をほめてあげたい。

そして、どうしても疲れているときの頼まれごとには
「ごめんなさい、今はできません」
と、断る勇気も大切に。
(ちょっと休めばできそうなら、その旨も伝えると尚良し)

私の一番の理解者は、私。

自分のことが嫌いになりそうなとき、
本棚から出して読んでいる絵本、
「わたしとなかよし」。

短く優しく語りかけてくる文章と
かわいいぶたちゃんのおかげで、
すーっと気持ちが落ち着きます。



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